ちゃんと踏む

「落ち葉と霜柱ってのは、ちゃんと踏んだほうがいいんだよ」

秋が深まりかけたころ、玉川上水の脇の小道を歩きながら、
その人は言いました。

どうして?
ふふふ、適当に言った、俺語録。

特に意味のなさそうなその言葉は心にぽつりと落ちて、
そしてそれから、落ち葉と霜柱を見るたびに、
その人の声がよみがえるのでした。

ちゃんと踏んだほうがいい、、?
なぜ?誰のために?

すこし哲学めいたその問いを楽しんでいるところもあったでしょうか。
でも、あるとき、ふと、思ったのです。

それは、落ち葉が差し出してくれるものを受け取るため。
それは、霜柱が捧げてくれるものを受け取るため。

わたしのためにそこにいるわけではないのだけれど、
だれかのためにそこにいるわけではないけれど、
やってくるかもしれない誰かがいて、
そのやってくるかもしれない誰かがきたときには、その全てを差し出す。

気をつけていないと、
あっという間に見過ごしてしまうそれらを、
ちゃんと注意深く見ることの大切さ、なのかなと思うのです。

注意深くいなければ、
敬意を払って受け取ることはできないのだなと。

まわりのすべての存在が、
そうやって「わたしたち」を捧げてくれています。

それらを受け取ることがわたしたちの役目なのですね。

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